宮田 征典
防2.07 20勝5敗
1962年プロ入り
巨人(62〜69)
地位の低かったリリーフ投手という価値を引き上げた男にしてV9を始めた原動力にもなった男。心臓疾患を患っており先発として長いイニングを投げられない事から63年からリリーフに転向。64年に故障で離脱するが、65年はまさに投手陣の柱としてリーグ最多の69試合に登板し20勝を挙げる活躍。当時は存在していないがセーブが存在すれば22セーブを記録していた。登板するのが大体8時半頃であった為、8時半の男として有名にもなった。MVPは本塁打、打点の二冠王に輝いた王に贈られたが、監督の川上もMVPは宮田ではないかと発言していた。66年シーズン以降は成績を落とし69年に現役引退。以降は名コーチとして様々な球団を渡り歩き、晩年は日テレでスポーツコーナーの担当をしていたが、そこではニュースの時間にちなんで6時半の男と呼ばれていた。
パワナンバー13400 22450 24272
【査定】
(球速149km/h)
ストレートが速くキレのあるボールだったらしい。150km/hオーバーなら豪速球と呼ばれてそうな時代なので150km/h一歩手前で設定
(根性○+ポーカーフェイス)
マウンド上で心臓の発作が出ても表情には出さずに投げ切る姿から
(クイックF)
病気の兼ね合いで1球の間隔が長く他球団からはよくクレームが来ていた。テンポ×の緑特能があればいいのだが、ないので代用
(緊急登板○)
肩が出来上がるのが早い
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